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2012年5月14日

社会福祉法人江刺保育園長

遠藤清賢

新保育システムの問題点

保育義務からの逃亡

新保育システムの目指しているものは当初、保育の質を高めるため、待機児童を解消するため、家族支援を強めるため、幼稚園、保育園を一体化し二重行政を解消する、いずれでもないように思えます。この制度では保育の質は低下してしまいます。待機児童の解消できず、この制度が執行されるなら待機児童という言葉は忘れ去られてしまうでしょう。家族支援は不可能です。幼稚園保育園は一体化になっていませんし二重行政の解消などどこにも出てきません。この制度の真の目的は、法律によって定められている国の保育義務をなくし、保育所を児童福祉施設ではなく保育産業として市場経済の中に投げ出すことが大きな目的のようにしか思えません。児童福祉法24条の「保育に欠けるところがある場合において、保護者から申込みのあったときはそれらの児童を保育所において保育しなければならない。ただし、付近に保育者がない等やむをえない事由があるときは、その他の適切な保護をしなければならない。」この条文を変えようとしています。「保育に欠ける」これをなくしすべての子どもに保育を提供するというのではなく、保育に欠ける児童はそのまま置き去りにしてしまうような制度になってしまうようにしか思えないのです。

現在の制度は保護者の所得能力に応じた保育料になっています。新制度もこの部分は同様の対応になるようです。実際の入園の手続きは市町村において保育認定が行われます。その認定は保護者の就労時間によって異なります。8時間就労している人は8時間の保育時間、4時間の就労の人は4時間の保育時間が認定されるという制度です。そして認定の受けた利用者が施設に行き施設と入園の契約を結び入園できる制度になっています。施設に空きがなければまた自分で施設を探し契約に行くことになるのです。どこにも空きがなければ認定書はただの紙切れになってしまいます。保護者にとって入園のための手続きや時間は現在の制度より時間も手間もずっとかかるようになっています。保護者の負担が具体的にどのくらい掛かるのか分かりません。基本的な保育料以外に各施設で上乗せした特別保育料の設定が認められています。その施設独自の保育サービスについて料金の上乗しましので、その上乗せ分が応益の負担になった時、全体として保育料金は今よりの高くなるのではないかと言われています。一般的に考えられることは所得の多い保護者の負担は減り、所得の少ない保護者の負担は多くなってしまうでしょう。現行制度は所得の少ない方であっても就労さえしていれば、もしくは就労する意思を持っていればその収入に応じた保育料で保育所に入り保育料を負担できるのですが、新しい制度では保育料の上乗せの徴収があるということになると所得の少ない方、相対的貧困家庭では利用できなくなる可能性があるのです。また短時間の保育認定された保護者が長時間の保育を希望する場合はどのようになるのか分かりませんが、おそらく認定以外の部分は実費徴収になるのが一般的です。経済的に苦しい家庭は長時間の保育を受けることができずに、保育格差という問題が新たに出てくると思われます。保育所の社会福祉施設という意味合いはなくなってしまいます。

今の制度は保育に欠ける子どもは国が責任を持って保育所に入れなければならないという義務があり、保護者は子どもを保育所に入れる権利を持っています。ですからこの義務を行うために待機児童がいることを問題視しています。保育園に入れない利用者もその権利を正当な権利として主張することができていました。しかし、新システムでは国のこの義務を責務という言葉に置き換えています。これは努力義務という意味であり努力はするがその結果については責任がないということなのです。ここに大きな問題があります。この新システムでは義務や責任という言葉は見当たりません。すべて責務という言葉に置き換えられています。ということは、国は保育の責任から逃れる制度設計になっているということなのです。

 

分断される子どもの成長

3歳児は総合こども園で受け入れる義務がないとしています。待機児童が最も多い年齢は3歳以下の子ども達です。待機児童の全体の80%を占めているのが3歳以下の子どもたちなのですが、この子達をこども園に入れなくともよいと定めています。そのかわり地域型保育に入所させることで対応するというのです。地域型保育所とは3歳児以下の乳児保育所、家庭的保育という保育ママ制度に定められた保育所のような小規模施設です。私たちは0歳児から就学前の子供たちの成長を支えてきました。養護と教育は一体であることを私たちは経験的に把握しています。そして乳児保育の重要性も改めて認識できています。その長期的な保育課程によって子どものより良い成長を支えてきました。乳児期の子どもの成長を支えることと同時にその家族との密接な信頼関係が児童の健康で健全な精神を育成するうえでいかに重要であるのかを私たちは実践し証明してきたのです。親と連携して子どもの生活リズムを整えること、親として愛情を注ぐこと、保育所と親とが密接に連携ができて保育が乳児から幼児期に継続されて実践された時、その児童がすばらしい潜在能力を発揮できる人間になることが期待できます。新しい保育指針によって私たちは保育課程を定め、保育計画を策定し、乳児期は保護者と一体となり信頼関係を構築して幼児期、就学時期まで保育を継続しているのが私たちの保育園です。それを3歳で保育課程を分断してしまうことは、子どもの成長と家族支援にとって大きな不利益が生じてしまいます。いまだに養護と教育を理解できない人たちが多くいる大きな落胆を感じてしまいます。また親の就労時間に従った短時間の保育認定しか受けられない子どもと長時間の保育認定を受けた子どもとの間に大きな格差が生じてしまう恐れがあります。

 

大きくなる保育と教育の格差

 現行の保育制度はすべての子どもが同じスタートラインに乗って保育され教育がなされています。また、障害があっても、貧困であっても、ある程度の家庭的な問題を包括的に受け入れ、子ども達には何の差別もなく保育や教育がなされています。課題のある親であっても守秘義務が徹底していて安心して利用できる制度になっています。これが親の就労時間によって保育利用時間が制限されてしまうことによってフルタイム利用の子どもと短時間利用の子どもでは大きな保育格差を生じてしまう恐れがあります。特に新システムは教育的な側面を強化することを求めていますが、短時間利用児童は半分しか保育もしくは教育がなされないということになります。また虐待や離婚、貧困などの問題のある家庭の児童が直接契約となった施設に入園できるのかどうかなにも保証がありません。問題のある家族から入園の応募があった場合、定員に余裕があれば応諾義務が課せられていますが、とくに直接保育料を施設が徴収することになるので、施設経営にリスクのある利用者を施設経営者が受け入れるのかどうか疑問があります。新制度はこの課題のある利用者を特別に措置するような制度にするとなっていますが、その場合その利用者が、特定のあるところに集中してしまうような対応がなされた場合は、親の間に差別感が生じ、自分の子どもの施設入園を拒んでしまうこともあるかもしれません。児童虐待の防止や貧困対策の最前線であった保育所の機能が喪失してしまうかもしれません。

 

心の通わない家族支援

 施設を親との間に金銭が入り込みます。親との関係は金銭的な関係になってしまいます。金銭を支払う方はその金銭に見合ったサービスと求めるようになります。それは個々の親の価値観によって異なりますのでそれによって保育の内容が大きく左右されることになります。親との信頼関係が崩壊し契約関係になってしまうことでしょう。現行制度は、金銭は絡んでいるのですがそれが表面に出てこない制度になっています。ですから利用している親は施設に金銭を支払っているという感覚はほとんど持っていないように思われます。子どもの保育に関しても契約というよりは、その施設に委ね信頼という関係性が保たれてきました。これは施設の保育現場で働く職員にとっては非常に働きやすい保護者との関係を築くことができるのです。中には難しいケースもあるのですが、保育の働きを子どもたちのために、保育者の持っているすべての能力を十分に注ぎ込むことができる環境であるし、制度になっていると思います。これが直接契約になってしまったとき金銭が表面に現れると、保育サービスは値段のある商品になってしまうのです。保育士は保育サービスを生み出す製造機械のように取り扱われるでしょう。

  これに関して賛否両論があると思いますが、子どもを育てることにおいて金銭が表面に出てくるような制度は明らかに良い制度ではないと私は考えています。子どもの成長を金銭的な価値で判断できるものではないと私は思います。これについては抽象的できわめて感覚的な私論になってしまいますが、子どもの教育において金銭はあくまで下支えであるべきなのです。現行の制度はこの点で非常に良くできた制度になっています。幼稚園やお年寄り等の他の施設に比較して保育園に対しての苦情はほとんどないのは、金銭が絡んでいないこともその大きな理由として考えられます。保育園が現在のようにその勢力を拡大した理由は親の就労時間に見合った長時間保育を行っているということだけではなく、人間的な信頼関係の構築が着実になされ各保育施設が努力してきた結果であると私は考えています。子どもには未来があります。老人と同じような制度設計ではいけないことを私たちは強く訴えます。子育てにおいて国の財政の負担を減らすよう制度設計は国を逆に疲弊させてしまうことを歴史が証明しています。戦後の苦しい時期にこの憲法を制定し義務教育を行ってきました。その政策がこの日本という国家を築きあげてきたはずなのですがあの日本の心意気は喪失してしまいました。子どもを全力でその成長を支えることが私たちのなすべきことです。特に家族制度が大きく変化している日本において乳児、幼児の保育教育の重要性は言うまでもないことです。子どもの福祉や教育を切り捨てることは断じて行ってはいけないことです。

 

市場経済に投げ出される保育

一般企業の保育への参入を認める制度は、先ほどの金銭の面で大きな問題を提起しています。企業は利益を得ることが第1の目的です。利益が出なければ企業の存続ができないからです。ですから企業が保育園を経営するということは必ず利益を得るような保育経営をするということです。これはすべての施設にも当てはまることで、特に企業に限ったことではないのですが、この利益を出すことがすべての保育施設にとって第1の目的になることが明確になるということです。子ども達のために保育理念の実行のためにということは棚の上の餅に過ぎなくなくでしょう。そのために多くの合理的な保育園経営が考え出されるでしょう。特に自園給食の対応をする施設は少なくなると思います。自園給食を行うならその分を利用保育料に上乗せしようとする施設経営者が出てくると思います。食育という考え方は死語になるかもしれません。お年寄りの施設では食事の外部委託が一般的になりました。お年寄りの施設では許されるでしょうが、子どもの施設において、給食はそれを作った人の顔が見えるようにしなければなりません。給食の味とか栄養状態ということよりも、その作った人の顔が見えることの方が非常に大切なのだと私は考えています。顔が見えることにより、食事によって支えられているという感覚が子どもたちに養われるのです。顔が見えないということはいくら味がよくバランスの良い食事であっても食べた子どもとの関係性は何も生まれてこないのです。食事を通して得られる「支えられている、愛されている。」という感覚は、食事を作った職員との顔と顔を見つめ合い、触れ合うによって生まれてくるのです。食育の基本はその部分にあるのです。ですから家で母親の作った食事を食べることが家族の大切な絆になっていることを私たちは体験的に知っているのですがこれを行なわない社会になってしまうのは悲しいことです。保育施設が自分の施設で調理し食事を提供することは子どもの成長に欠かすことのできないことなのです。保育園の経営のためにこれを切り捨ててしまうことは、子ども成長の大切な体験を取り除いてしまうことなのです。このほかにも、利益を出すためということで、子どもにとって大切な保育や体験事業が数多く切り捨てられるでしょう。保育施設はたくさんの大切な無駄が存在します。色紙を切り刻んだり、ものを破壊したり、普通これは浪費であると言われます。そして遊びなどの時間を何も生産性のない無駄な時間であると考えられています。このような大切な無駄が子どもたちの成長を支えていることを理解できない大人があまりにも多くなってしまいました。金銭的な利益を生み出すということが子どもの成長にとって大切で意味があることなのかどうか私にはわかりません。

また、保育士の不足が顕著になってきました。大企業では保育士確保のため地方に保育所を作りその場で雇用した保育士を都会の施設に配置転換させ、寄宿舎を用意し保育士を確保するというところもあります。保育士は一つの施設で長期間勤務するというよりは多くの施設をより高い報酬を求めて渡り歩くと言う人も出てくるかもしれません。報酬の多く出せる施設に保育士が集中してしまうということも出てくると考えられます。保育士の能力給が当然のようになるでしょう。ある大手の保険会社では利用児童の家族に自社の保険を紹介するだけでも、大きな利益になるのだそうです。また自社の保険に加入してもらえば極めて安価な保育料で子どもを預かることができるというところもあります。一部上場の大企業が保育所経営に乗り出して来たら、同じ地域にある小規模の保育施設は簡単に潰れてしまうでしょう。保育経営を行う企業が高い保育理念を持って子ども成長を支えることができるのなら子どもたちの未来は希望があるかもしれませんが、ただ単に利益だけを求めるような企業の参入は大きな社会問題をもたらすでしょう。新制度はこの企業参入が容易にできる制度になっています。

最終的に国が考えていることは現行の社会福祉法人を解体しすべて福祉施設を福祉企業にして法人税や所得税等を徴収できるような制度にしてしまい、それによって疲弊している国の税収を少しでも賄いたいと考えているのではないでしょうか。

 

日本の将来

今示されているこの新保育システムは、子ども達の成長を阻害してしまう制度です。何も良いところはないと私は判断しました。消費税10%を得るための踏み絵のように示されています。この制度の前文は素晴らしい内容ですが、詳しく読み進めるとその前文とは全くかけ離れた内容になっています。そして非常に分かり辛い内容になっています。この制度が執行されてしまうと家庭はさらに崩壊します。とくに経済的に問題のある家庭や家族問題を抱えている家庭は見捨てられるかもしれません。貧困格差が拡大し、憲法で規定されている教育の機会均等の権利は保障されなくなってしまいます。そして子どもたちは特定のエリート集団が出来上がり、その他の多くの子どもたちは夢のない孤独な集団となってしまう危険性を孕んでいると私は思います。この保育と教育の格差が不安をさらに増幅し、争いが頻繁に出てくる社会になる危険性があります。これでは日本の社会はだめになってしまいます。