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安全保育について
〜ヒヤリハットの取り組みのために〜
 

胆江地区主任保育士部会研修

2013.11.21 遠藤清賢

 

1.保育の基本は子どもの命を守ること。

保育を行う上で最も重要なことは安全な保育環境を設定することです。子どもの命を守ることがなければ保育は成り立ちません。安全な保育は物理的な環境と、精神的な環境が考えられます。物理的な環境とは、遊びや活動において命の危険が無い環境ということが言えます。

もっと具体的には、子どもたちが自由に体を動かし、激しい運動をしても極力怪我のない安全環境であるということができます。精神的な環境とは子ども達の精神的な不安を取り除き、安心して活動できる人的な環境ということが言えます。中学や高校の運動部で指導の教師から暴力があるということ、また周りの同級生等からイジメがある、というようなことは精神的な安全環境が守られていないということです。

さらに安全保育をもっと細分化すれは食事環境とか衛生環境も命を守ることでは重要なことです。保育園はこのような安全環境設定がしっかりなされているという前提があり保護者の皆様は子ども達の保育を私たちの保育園に委ねることができるのです。

安全な物理的環境、安全な精神的環境、安全な食事環境、安全な衛生環境、その内どれが欠けていても、子ども達の命を守ることはできなくなります。

いくら良い保育対応をしていたとしても安全でないという部分があった場合は保育施設として成り立たなくなってしまうということは良く理解できると思います。今回は日常の生活の中での安全保育について考えてみたいと思います。

 

2.気づかない危険個所

明らかに危険な環境があるというところは、修繕や対応の工夫等によって危険因子を取り除くことができます。しかし、実際に大きな事故が発生した場合、私たちは経験的に「どうしてこんなことになってしまったのか」と思えるような場合の方が多いのではないでしょうか。

その原因は物理的な要因、精神的な要因、その他さまざまな要因が複雑に絡み合って事故が発生したということよりは、ある一つの些細な要因が大きな事故になってしまったということの方が多いように思うのです。どうしてこんなことがというようなことが大きな事故に繋がっているのを教訓的に私たちは理解できると思います。

あきらかに目に見える危険な個所は対処できますが、同じ人間が長い間過ごしていると、危険であっても、それを危険として認識できなくなってしまうのです。また保育士一人がクラス全体の活動を掌握し、その活動の導入から指導等を行っていく中で、細かな安全対策において何かしら抜けている部分があることは良くあることです。

一人の人間が危険を掌握するだけではなく、事前にこの環境はどのような危険があるのかを多くの人が違った視点で見て、予測することが重要です。またクラス担任は安全な環境設定や子ども達を見守るという役割がありますが、一人では対応しきれない時に、全体で協力できる保育体制を作っておかなければなりません。

また危険であると感じた環境や対応は全体で周知して置くことも大切です。また、自分自身の保育対応について子ども達に自分の価値観を強要するようなことがなかったかどうか、一日の対応を振り返ることや、自分の保育について他者の意見を聴く余裕を持つことが大切です。

 

3.気持ちの空白、子どもの姿の不十分な把握

 安全な環境が確保されていたとしても保育を行っている私たちが安全を意識しなくなったら安全な保育を行うことはできません。保育技術と同等に保育における安全意識は重要です。必ず安全であることを確認することが習慣的に行われていなければ職業人として保育をしていることにはならないのです。

保育は各年齢の子ども達それぞれの運動能力や思考能力を把握し、その時にあった最良のカリキュラムを計画し実行します。その中に安全という部分が欠如していたらそれは使い物にならないのです。年齢や子ども達の能力を無視し保育士独自の主観的判断によって行われる保育は安全保育とは言えません。

子ども達の能力以上の活動をする場合にはそれなりの時間をかけた十分な準備が必要になりますが、それもなく突然に難しい活動を行ってしまうと大きな事故に繋がる恐れがあります。保育士が自分は充分に経験を積んでいるので、うまく対応できるという過剰な自信や、保育者の体調不良等によって注意が散漫になっている時、業務が立て込んでいて安全意識が欠落していている時等、思わぬ事故が発生してしまう確率が高くなります。

自信は安全意識を裏付けた自信でなければならないのです。しかし一人ですべての役割をこなすことは非常に難しいし、限界があります。ですから、共通対応できる部分は複数の職員で分担することが必要です。特に安全に関する環境設定は施設全体の事柄ですので、全員で共有しなければならないのです。

安全意識を全職員で共有することで、個々の気持ちの空白を補い合うことができます。また常時、安全意識を保ち続けることも難しい事ですから、週又は月のうち何日は施設内の危険個所を点検するとか、自分たちの保育対応について反省し、安全意識を再確認できる時間を持つことが必要です。

 

4.危険因子はすべてにある

 危険であるからということで、全ての危険な部分をなくすることをだけを重視し、全ての危険な物を取り除いてしまうと、園庭や保育室は何もないただの広い空間になってしまいます。明らかに命の危険があるとか、どのように注意しても重大な事故を引き起こしてしまうというような事柄は、そのような対処が必要かもしれませんが、取り除くということよりはどのような危険因子があるのかを知ることの方がより重要なのです。

自立歩行できない乳児の環境と、自立して活動できるようになった幼児の環境でも危険因子は異なります。遊具も異なります。たとえば自動車は免許を持っている者が運転しても大丈夫ですが、子どもが運転したら非常に危険なものになってしまいます。

人のいる環境はすべて危険因子が存在しています。保育園は子ども達のいる環境ですから、保育者がその安全な環境設定を子ども達の成長や状況に合わせて考慮しなければなりません。道具を正しく安全に使う、友達と仲良く遊ぶ、など、保育者の見守りと指導が安全を大きく左右しています。

ですから私たち保育者自身が自分の施設の環境について、また保育活動においてどのような危険因子があるのかをよく把握することが不可欠です。それを全職員が周知し、それを考慮しながら保育計画を策定することが保育の質の良し悪しの基本になるのです。施設外での活動は当然、事前に下見をしなければなりません。

安全保育というのはただ単に安全環境を整備するということだけではなく、保育活動の具体的な内容によって大きく左右されるということを確認してください。子ども達の環境、成長の度合い、心のあり方、全てを把握しておかなければ厳密な安全保育を行うことはできないのです。従って、繰り返しになりますが安全を抜きにした保育は有りえないのです。

 

5.危険を知ることの大切さ

 危険因子は全てにあるのですから、私たちはその隠れている危険について、もしもという想像力を働かせなければなりません。

これは自然災害の対策では重要な事です。その対応については施設の周りの地形、排水の状況、風向き、等を考慮し、近隣の火災や水害、崖崩れ、地震、等どのように安全対策を行い、自然災害を想定した避難訓練等を実施しなければならないし、安全に避難するためのマニュアルを作成すべきです。

日常保育においての対処としても、職員がどのように行動しなければならないとか、危険な個所に近づかない等の子どもたちへの指導、そして、活動前に必要な注意を促すことや、職員の適正な配置、子ども達のグループ分け等の対応が必要になってきます。

一人の職員が危険因子すべてを洗い出すことは難しいことです。できるだけ多くの人が様々な視点で危険因子を予測し、洗い出すことが大切です。

職員だけではなく、利用者からの声もしっかり聴くことも必要です。改めて利用者にアンケートを取るとかよりは、日常の保護者の方々との会話の中から危険因子を見つけることが大切なのです。保護者の方たちは施設職員とは違った視点を持っていますので、日常の会話の中で保護者の意見をしっかり聞き入れ、その意見に基づいた安全保育は、保護者の方々にとっても自分の意見をしっかりと聴いてもらっているという信頼感を持って頂けるのです。危険を取り除くことと同時に、保護者の皆さんの思いや信頼も得ることができるのです。

保護者方々との会話の中で、私たちにどのようなことを望んでいるのかをしっかりと聴きとる能力が求められます。ですから、上手に話すということより、良く聴き、それに応えるという能力の方が大切なのです。

 

6.ヒヤリハットの取り組み

 事故や失敗したこと、心配な保育環境や子ども達への対応等、様々な小さな積み重ねがヒヤリハットの取り組みです。実際に発生した事故や怪我は事故報告として検討されますが、ヒヤリハットは日常の保育の中で、危険であると思われる環境や保育対応について個人の意見を出し合う取り組みです。

一つの保育対応の中で、ある人は危険と思わなくとも、ある人は危険を感じるといいう事柄があります。それを発表し合う取り組みです。自分の気付かない危険因子を意識できるようになり、より綿密な保育計画を策定することが可能になります。ヒヤリハットの取り組みは、施設全体で取り組むこと、全体の意見を出し合うこと、その意見が全体に周知されること、そして継続して取り組むことが必要です。個人の保育の欠点を指摘することではなく、課題のある保育対応を施設全体の対応として捉えることが大切です。

個人の失敗を個人の責任のようにしてしまうことは絶対にあってはならないことです。保育園の保育は個人の対応ではなくチームとしての対応です。従って個人が失敗した原因はチームの中での何かが要因になっているのです。

それを個人のせいにしてしまうと同じ失敗を繰り返すことになるのです。ヒヤリハットは各職員が日常の保育の中で感じた、体験した危険要因を知り、それを意識することによって大きな事故の発生を予防できるのです。その積み重ねが保育の質を上げる一つの重要な働きになるのです。

しかし、ヒヤリハットの取り組みを長い期間取り組んでいるとどうしても、マンネリになってしまいます。同じ意見が何回も出されることもあり危険であるという意識も薄れてしまい、また大きな事故に繋がってしまうことになりかねません。

全体で意見を出し合うことは大切なのですが、出された意見を少人数で協議検討し、その中から重点的な安全意識を周知するという方法が良いかもしれません。

月1回全体に出されたヒヤリハットの意見を2〜3人の選出された職員が事例をさらに選別して、再度詳細に検討し、安全意識を向上させる安全専門職を設けるのも、ヒヤリハットをマンネリ化させない一つのやり方だと思います。

 

7.危険から学ぶこと

 子どもの怪我や小さな事故は避けられないことかもしれません。起きてしまった事故の原因は個人にあるという考えは誤っています。故意の事故や故意に怪我をさせることは個人の責任ですが、そのほかの施設内での事故は個人ではなく施設全体に責任があるのです。起きてしまった事故の責任を追及することはあまり意味がありません。

それよりは、これからの保育対応をより良くするために、どうして事故が起きたのか、その場の環境設定や、人的な配置、子ども達の姿、日常保育のあり方、その時の対応状況、連絡等についてどうであったのか、起きてしまった事故を教訓にして全体で検討すべきです。

その中から、自分たちの気付かなかった危険因子を見つけ出し、今後のより良い保育に繋がるのです。成功した事例よりは、失敗した事例の方が多くの大切な学びを得ることができるのではないでしょうか。

 

ただし注意しなければならないこととして、繰り返しになりますが、危険因子のすべてを取り除くということは子ども達に成長にとって良い対応とは言えません。明らかに命の危険がある場合は、別ですが、ある程度の危険因子は、取り除くというよりは職員がそれを認知していることの方がより重要です。危険な物も使い方によっては大切な働きができる良い物になるということを子ども達に伝えることが、危険を排除するより重要な保育なのです。たとえばお料理に使う道具は殆ど危険な物ばかりです。

しかし、正しく使うことによって私たちを生かす安全な食べ物を作ることができます。3歳児から江刺保育園で行っているクッキングは、子ども達にそのことを伝える大切な保育になっています。

子どもの成長に従って危険の程度は変化しますので、各年代や子ども達の成長をしっかり把握して対応することによって子ども達と同様に私たち保育士自身も成長できると思います。

多少の怪我や小さな事故は子ども達の成長に必要な事もあるということを考えながら検討対応しなければなりません。

私たちの生活環境は危険因子と共存している環境です。危険な事柄を安全に活用しているのが私たちの生活です。ですから、原子力発電のように人間が何をしても制御できない物は別ですが、その他の危険なものは全て排除しなければならないというのは、正しい保育とは言えないのです。

子ども達に危険なもの、危険な行動を認識させ、その良い使い方、正しい行動を伝え、学習させることが私たちの保育対応の重要な働きなのです。
 

その安全保育を行うためには、子ども達の姿をしっかりと捉え、保育課程に沿った保育対応がなされているのかどうか、継続して検証して行かなければならないのです。 

前の繰り返しになりますが、保育施設における保育の質ということを論ずるとき安全であること、命を守るということが保育のすべての基礎になっているのです。