2024年度 園長のページ

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 2024年度になりました。園長としての働きは今年度限りとなる予定です。保育の働きを始めてから23年目となりました。前江刺教会牧師の邑原宗男先生が70歳までが現役として働ける限界の年齢であると語っていました。ご本人もその言葉に従って職を辞されました。私は73歳になりますが。邑原先生の言う通りであると感じています。見た目は元気そうに見えますが、体は正直です。どこかしら不調を覚えるようになっています。多くの子どもたちや周りにいる沢山の皆様に祈って頂き、支えて頂きました。心から感謝です。少し長く勤めてしまったと思います。そういうことで今年は身辺の整理をしなければなりません。保育園以外に教会関係や他の保育施設から様々な働きの依頼があり、様々な役を頂いています。自分がはたして相応しいものなのかどうか私には分かりません。神様に全てを委ねて努力したいと思いますが、これらはそれらも減らさなければなりません。整理しながら良い音楽を聴き、ギターで良い音楽を表現できるように精進することは続けたいと思います。また、荒れ放題の我が家の畑を少しづつ手入れをしたいと思っています。祈ることが江刺保育園の為の私の大切な働きになります。神様が支えて下さると信じています。

2024.12. 3 クリスマスを迎えて

12月1日よりアドヴェントに入りました。保育園ではクリスマスツリーとクランツが飾られクリスマスの季節になったことが感じられます。そして子どもたちのクリスマス・ページェントの練習が毎日行われています。言うまでもなくクリスマスはイエス・キリストの誕生を記念する日です。世界中がお互いを思いやり、今を感謝し、平和とお互いの命が祝福されるように祈る日なのですが、世界は未だに争い、互いに憎しみ、思いやりや尊い神の愛を放棄している世界になっているようです。

日本でも戦争はないものの「闇バイト」という他者の財産を奪うために自分とは何も関わりがなくても他者を傷つけ、殺してしまう事件が毎日のようにあり報道されています。私たちの社会はこんな社会だったのでしょうか。イエスキリストが私たちに示した、人間としてのあるべき生き方はどんな生き方なのか、いま思い起こさなければなりません。

神様の思い、人間に対する愛情は、人間自身の利己主義と原理主義によって包み隠されてしまいました。社会はますます混迷し人間として生きる道を見失いつつあります。身勝手な欲望が蔓延り人間はお互いの命を抹殺するような社会になり始めているようです。私たちは子どもたちにどんな未来を残せるのでしょうか。


2024.11. 6 日本基督教団総会終了しました。

10月29日から31日の3日間の日程で行われました。現在牧師は正教師と補教師という二重教職制になっています。正教師になるためには2年間の補教師としての経験が求められ正教師になるための試験に合格することで正教師となることができるという二重教職制度になっています。補教師は聖餐式の執行、洗礼式の執行はできません。この聖餐式、洗礼式を補教師であってもできるようにし、補教師という職に関してその是非を問う議案でしたが、賛成者少数により否決されました。

また沖縄教区が教団と距離を置くということで教団が行う総会やその他の集会、会議に参加していない状況が続いています。この原因はさまざまな意見がありますが、私個人としては教団の側に沖縄を排除するような動きが合ったように思っていますが、この件について教団が歩み寄り、その関係性を取り戻すために知恵を出し、具体的にその働きを始めましょうという議案ですが、これも賛成者少数により否決されています。その他、財政の立て直しや、約2000万円もの費用が掛かるこの教団総会のあり方、議員数の見直し等、機構改革については議論が全くなかったのは、残念なことです。

教団働きとして出版事業がありますが、この出版局が大きな支出超過によって危機的な経営状況にあるのです。この出版事業は教団の働きのなかで手足として重要な働きをになっています。文献として言葉を未来に託す働きや、文書による伝道、教師の養成のための文献の作成、教会音楽の普及、キリスト教文化の価値を高め、それを将来に伝える重要な働きを担っている事を私たちは見直さなければなりません。この事業は絶対に守り、継続しなければならないものだと確信しています。

その為に教団全体でこの事業のために祈り、支える運動を検討し、実践しなければならないと思います。


2024.10.28 妻の退院

23日(水)午後3時に妻が退院しました。体調は問題ないのですが、ベットでの生活が長く続き下半身の筋力がかなり弱くなっているのが心配な部分です。そのため歩行器を用意しました。見た目は順調に歩行できます。本人はふらつきがあると言っていますが、手を添えることなく自力で立ち上がり、支障なく移動することが出来ています。

怪我する前の体重より15キロ以上少なくなっていましたが、今は食欲も快復し食べ過ぎないようにしなければと本人は言っています。お風呂も少しの手伝いが必要ですが、ほぼ自力で入ることができるようになりました。介護申請をした方が良いのではという、病院からのアドバイスがありましたが、審査の担当者が来る前にはほとんど自力で生活できるようになっていると思いました。

ただ、一人での外出はまだできません。本人も長い距離(50mくらい)は自信がないし、私も転倒する危険があるので私が一緒に付き添いながら徐々に挑戦したいと思います。26日は理容店に行き、27日は怪我をしてから約4か月ぶりに江刺教会の礼拝に出席することができました。

家に誰かがいるというのは大きな安心感があります。帰宅した時、家に灯りが灯っているのが見えるのです。その時、その日の疲れが解放されるのです。妻が私の思い疲れの荷を一緒に背負ってくれるのです。話し相手がすぐそばにいることで日常生活が大切な潤いで満たされ、私にとって大きな励みになっています。支え合って生きている今の一時一時が大きな喜びに満たされるのです。お互いがお互いにとって必要であり、掛け外の無い存在であることを毎日噛みしめています。

このような感情は若い時には感じることができなかった思いです。年を重ね一緒に生活を続けてきたことが、このような大きな恵みを私たちに与えられてきたことを実感できるのです。なんと幸せなことなのでしょうか。この時を与えて下さっている神様に心から感謝です。


2024.9.27 妻の入院

朝夕残暑がありますが大分涼しくなってきました。

23日の早朝3時頃妻の呼ぶ声で目が覚めました。トイレの中で手足が痺れて立ち上がれないと言うのです。その妻を何とかベットまで連れて行き寝かせました。朝の8時ごろ「吐き気がずっと続いている」というのです。病院に行かなければと思いました。自分が運転して連れて行こうと思っていましたが、近くにいる娘が孫と一緒に来て救急車を読んだ方がいいと言うのです。立ち上がると痺れと嘔吐によって歩くことが出来なくなっていたのです。

娘に促され救急車を呼び江刺病院に行きました。対応して下さった看護婦さん、医師がとても良く対応して下さり、内臓に大きな問題はなさそうだが、血液中のミネラル特にカツシュームの値が極端に低いのだそうです。この場合、痺れや嘔吐の症状が出るのだそうです。そういうことで入院して血液の改善をすることになりました。娘が来て戸惑っている私に適切な助言をしてくれました。

排尿の管が入れてありベットから移動はできない状態になっています。しかし、入院3日目となり妻は痺れ嘔吐がなく元気になりました。自宅では1日1食しか食べていませんでしたが、今は3食しっかり食べているようです。本人から何か甘いものが欲しいとラインが届ています。14キロやせたと言っていましたが、この分では直ぐにもとに戻りそうです。

妻も私も高齢になったことを良くも悪くも感じ取っています。妻はこの分では運転免許証を返納しなけれなならないでしょう。自分で歩けるようになって欲しいと思いますが、できない時は私ができる間、彼女の手と足になりたいと思います。それができるだけ長くできるように神様に祈り、お願いしています。出来なくなったらその時、その時点での最善の方法を考えたいと思いますが、今の私が健康であることに感謝します。


2024.8.20 暑さが続いています。

猛暑が続いています。40℃近い気温で、保育園のエアコンはフル稼働しています。お盆の休みが終わりいつもなら暑さは和らいで来るのですが、近年は益々暑さが増してくるような感じがします。そうであっても子どもたちは元気に過ごしています。

元気がないのは私たち大人です。特に私のような高齢者はこの暑さには耐えられません。9月当初は県南振興局の指導監査が予定されています。法人監査は2年毎になっていますが、施設運営監査は毎年行われています。

監査を受けるのは良い気持ちはしませんが、これまでの運営を見直す上では大切なことです。自分たちのしてきたことを見直す良い機会なのです。園長、副園長、事務員、主任保育士は監査資料を準備するために忙しくなります。

毎年のことですので大きな問題はないはずです。しかし、何かしら抜けていることがあるのです。9月6日(金)が監査の日です。


2024.7.10 妻の怪我


Facebook頻繁にお知らせしていますが6月18日(火)の早朝、私の妻が2階の階段から転げ落ち左肋骨を3本折って救急車によって搬送されてから3週間が過ぎました。私はこの日、盛岡で日本キリスト教団奥羽教区の常置委員会の為、盛岡のホテルに宿泊していましたので留守にしていました。自分で救急車をようだそうです。この日の早朝3時半前に娘からこのことについてラインがあり急遽18日の会議を抜け自宅に戻りました。妻は歩く事はできるのです。医師からはこれくらいは軽症ですと言われたそうです。しかし尋常でない痛みがあますが自宅療養ということになりました。

その時から食事、洗濯、掃除、買い物等、家事一切を私がしなければならなくなりました。近くに娘がいますので時々手伝ってもらえます。私は老人ホームで主任介護士として10年近く働きてきましたので家事労働は苦になりませんが、食事の支度や買い物はほとんど初めての経験でした。

食事の買い物は何を買えばいいのか考えながら、自分のできる料理と見比べながらの買い物でした。どうしても沢山買ってしまいこんなにお金を使ってしまったという反省の日が続きました。そしてプラスチック製のゴミがこんなにも溜まるということも知りました。

基本的に一汁一菜の料理ですが、スーパーには出来上がったのもが沢山あり驚きと同時に助かりました。たまに保育園の子どもにでき和すことがあり、園長は何もしているのかと聴かれます。正直に答えるのです。そして、徐々に手の込んだ美味しい味噌汁を造ることに努力と時間の大半を注ぎ、妻からもっと簡単でいいよと言われますが、食欲のない妻の為に自分としては大いに手を掛けて調理しました。

はじめ、妻はほとんど動くことが出来ずベットでの日常になっていました。トイレと食事の時しか起きてきません。最近ようやく動くことができるようになり、食欲も出てきています。私の用意した食事も美味しいと言ってくれます。家事はたいへんな働きであることを改めて知ることができました。高齢の私たちですのでお互いに支え合いながら生きていかなければなりません。私にとってはとても良い体験をさせてもらっていると思います。

とは言うものの妻が早く良くなり楽をしたいというのも正直な気持ちです。明日は手作りお弁当の日です。コンビニ弁当でもいいかもしれないとか、娘に頼もうか、いやしっかりお弁当を作らなければとか、そして自分のお弁当に何を入れたらいいのか等、午前中から考えています。

2024.5.1
昨日の夕方一人の職員から、のどの痛みと微熱の為通院したところコロナが陽性であったと連絡が有りました。もう一人の同じクラスの担任も自主検査をしたところ無症状ではあったのですが陽性でした。急遽、保護者の皆さまに緊急連絡をして登園自粛のお願いをしています。

未だに感染は続いています。注意しなければなりません。幸い症状は軽いのですが、5日間以上の自宅待機が必要です。職員が感染すると保育体制に多くな影響があります。クラス担任を動かし、子どもたちの保育に支障の無いようにしなければなりません。昨日の夜の緊急連絡によって登園を自粛して下さった方々があり今日の時点では大きな支障なく保育が行われています。最近はRSウィrスの感染、おなかの不調等による病欠が続いていましたので、コロナの感染には驚きました。