2020年度 園長(遠藤清賢)の雑感

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2020年6月2日 「コヘレトの言葉」について

 近所のスーパーの中にある書店にNHKEテレのテキストがまとめられているコーナーがあり、「こころの時代」という番組で使用される旧約聖書の「コヘレトの言葉」がテーマになっているテキストがありました。この書は聖書の中で特に独特の文章が綴られています。私にとって信仰を持った学生の時から異彩を放っていました。

この書は「伝道の書」という表題でしたが、共同訳聖書になってから「コヘレトの言葉」という表題に替えられていました。はじめに仏教の経典のような文書があり、非常に興味をそそられていました。人間の行い、その人生はすべて空しいということから始まるのです。

生きることに何の意味もなく全ては風のように空しく過ぎ去っていくのが人間の人生であるというのです、これをそのまま解釈すれば生きる時間は何の意味もなく、何をしてもすべては無駄なことだという内容になるのです。しかし、全てが空しいといいながら、全てに時があること、飲み食いし、妻と共に人生を楽しめとか、汝の若いときに汝の作り主を覚えよ、という記述があることが、何とも不思議なのです。

この書は私たちに何を語っているのか、神様は我々に何を求めているのか分からないまま読んでいたことを思い出しました。


この「こころの時代」の講師として小友聡先生の名前が記載してありました。今回の新共同訳聖書の翻訳者の一人でもあり、奥羽教区の新共同訳聖書の研修会に講師として来てくださった先生でもあるのです。迷わずこのテキストを購入したのです。とても興味深く読ませていただきました。

その中で私は「空」という言葉を空しいという意味だと解釈していました。共同訳聖書も「空しい」と記述されているのです。しかし、新共同訳聖書は「空しい」ではなく「空」という表現になっています。どうしてその表現になったのか先生の解説では「空」とは「束の間」「一瞬」という意味であるということでした。

このように解釈すると、人生は一瞬であるから、その時間を思う存分に楽しみなさいというふうに理解することができると書かれているのです。人間一人の人生は束の間であり、風のように空しくではなく、一瞬のうちに過ぎ去ってしまうのだということだったのです。

そのように解釈するとこの書のすべての矛盾が、矛盾ではなく神様の励ましとして捉えることができるのです。短い人生であるからこそ時間を大切にし、神様の恵みとして愛する人と共に楽しむのが人間としての生き方であるということが明確に心に入ってくるのです。

人生は空しく暗闇の中を生きるのではなく、束の間の人生を大切に、楽しんで生きなさいと神様が言っているのです。旧約聖書のなかで貫かれている厳格な神様の姿が、優しくおおらかな神様の姿で想像されるのです。改めてこの人生を生きてみようという思いが湧いてくるのです。私は多くの恵みを頂いてきました。神様はこのような罪深い土の器であっても支え続けていて下さることを確信することができるのがこの「コヘレトの言葉」です。

2020年5月29日 コロナウィルスの中で

コロナウィルスの緊急事態宣言が解除されましたが、危険な状態が過ぎ去ったというのではなく、人の移動が少なくなり感染する人が少なくなったということだけで、感染のリスクは依然と続いているということです。

このウィルスは人間の生き方自体に大きな変革を強いているように感じます。人間は集団で協力しながらその文化を発達させてきました。しかし、今はその集団での活動を抑制し孤立した生き方をしなければ感染の危険性から逃れることができない状況になっています。

私たちは子どもたちにお互いに支え、力を合わせて生きることを保育の中で伝えてきました。そのことが正しくないと言われる社会になってしまうような気持ちになります。本来あるべき人間の行動する力や人を思いやる能力が自分の命を危険に貶める能力だと思われてしまうことに大きな違和感を感じてしまいます。そしたら人間はどのように生きれば良いのでしょうか。

私たちのキリスト教の礼拝も感染の危険があるので集会を持つことをしないと決めたところが多くあります。私たち信者にとって最も大切な時間は礼拝を守るときであるのですが、自分の命を最優先に考え、神との時を排除してしまうのは仕方のないことのように思うのは私たち中には真の信仰が失われているのではと考えてしまいます。

礼拝を守れない心の痛みを癒すのはやはり礼拝を行うことです。日曜日に行うだけではなく、また夜間に少人数で守ることもできると思います。

私たちは命を守り、本来の人間の生き方を見失わないためには、神との対話の継続とその中で真理を見失わない心の強さが求められています。神様はこの地上で生きるために、全ての命との共存が必要であることを私たちに語り掛けています。自分の命だけが生きるのではなく、それぞれがお互いに生き続け、バランスとそれぞれの領域を保って生活することの大切さを人間に求めているのだと思います。

その為には有効なワクチンの製造が必要です。それは人間が神様に祈り、神様の御心に触れたときに与えられる恵みなのかもしれません。その恵みが果たして人間に与えられるのかどうか、祈りたいと思います。


2020年5月7日

連休が終わり今日から保育が始まりました。子どもたち、職員共に元気です。休みの間何もすることなく過ごしていましたが、毎日コロナウィルスについての注意喚起がなされています。当分この状態が続くのだと思います。

私たちのような保育関係者や公務員は決まった給与が出ていま
すが、自営業や飲食業の方たちは気の毒です。その働きが制約され収入が得られず、通常の生活することが難しくなっています。いつまで続くのか不安な状態で毎日を過ごしている方たちがたくさんいます。感染してしまった方たちも社会から隔離され、感染したことが悪いことをしてしまったかのように思われ、やりきれない思いになっている人がたくさんいるのだと思います。

この病気は病気以外の様々な問題を私たちに突きつけてきます。人間の精神と社会システムが試されているような時代になっています。こんな中で命を守るために一生懸命に働いている医療関係の皆様には頭が下がります。私たちも努力したいと思います。


2020年4月の状況について


入園式が終わり2週間が過ぎました。毎日のようにコロナウィルス関連のメールが届いています。しかも1日に3~5回は来ています。このコロナウィルスの感染拡大によってすべてのことが大きく変わってしまいました。教会でも感染防止のため礼拝や聖餐式を行わない教会が岩手県内でも多くなっているようです。特に4月は教会総会の時期で2020年の活動方針や予算の承認などを決定しなければならないのですが、集会を行わないで文書決議する教会が多くなっています。

奥羽教区総会も文書決議によって行うことが決まっています。私たちの江刺教会は4月から新しい牧師を迎えていますが、准允がどのようになるのか注目しています。この状況が続くのであれば就任式はできるだけ簡素に短時間で行うことにならざるを得ないでしょう。非常に残念です。

新しい掛江隆史牧師を招聘できたことを教会全員が感謝し、喜んでいます。江刺教会のとって神様からの大きな恵みと祝福を頂いたことを確信できる招聘であったと思います。また、邑原先生が江刺教会のために祈り働いて下さったからこのような恵みが与えられたことも心から感謝しています。私たちは新しい江刺教会教師の就任式に多くの教会から人々が来てくださり掛江隆史牧師のこれからの働きを祈ってくださることを希望しているのです。そのようになりますように祈っています。

保育園も始まっています。入園当初、特に乳児のなき声が保育園中に響き渡っていましたが4月半ばを過ぎ子どもたちは落ち着いてきました。これから子どもたちが期待している親子遠足が行われる予定でしたが、コロナウィルス感染予防のため中止となりました。保育参観や夏祭り、運動会もどうなるのか心配です。

幸いに、子どもたちはみんな元気です。さくらの季節で少し遠くにお花見で出かけていましたが、今年は保育園周辺を散歩しています。今週で桜の花は散ってしまうでしょう。東日本大震災の年に園庭に植えた桜の木は大きくなりたくさんの花が咲きました。一日も早くコロナウィルスの感染拡大が終息し、有効なワクチンができますようにお祈りします。

 
イースター礼拝の説教をしている掛江隆史牧師  江刺保育園の桜