園長の個人的な手記

トップページに戻る

2024年度のページ
2023年度のページ
2022年度のページ
2021年度のページ
2019年度のページ
2018年度のページ
2017年度のページ
2016年度のページ
2015年度のページ


2021年2月27日

卒園の時期になりました。4月からの入園児童が決まり4月からの新しいクラスの担任を決めなければなりません。2月26日の夜、全保協が主催するオンライン研修を全員で受講しました。コロナ禍の保育についてと保育の質を高めるための研修のありかたについての講義でした。

「コロナ禍の保育」ではで基本である手洗いと正しいマスクの装着について改めてこの大切さを確認することができました。コロナ以外の感染症や予防接種についての講義もありとても有益な研修だったと思います。

また「研修のありかたについて」は時間を有効に使って、様々な意見を出し合い、お互いに信頼関係を構築しながら、楽しく喜んで保育をすることを改めて確認することができました。

いずれも私たちの保育について多くの示唆を頂き、それぞれに良い気付きが与えられた研修であったと思います。

保育の事例を見させていただき感じたことは、以前に保育研究大会で助言者として様々な先進的な保育の発表に接することができていた当時を思い出すのですが、やはり保育現場で実際に保育を実践している先生たちの声を直に聞けなくなったのはとても残念でなりません。そして、このような研修ができず職員を送り出すことも出来ない現状が一日も早く回復するように願うばかりです。

4月からの入園児童が決まりましたが、利用児童が非常に少ないのです。これは少子化の影響だけではなく、私たちの保育に何か問題があるからかもしれません。全ての職員と共にこれらの課題に向き合い、子どもたちのより良き成長のための保育園を改めて始めたいと思います。


経営的には非常に厳しい状況でのスタートになります。途中入園児堂の申込が多くあるように願っています。4月からは職員体制も大きく変わります。良い働きができるように励ましをお願いいたします。


2021年1月

今日は13日です。12月の中旬から雪の降る日が続いています。また、厳しい寒さの日が多くなっています。1月4日から保育が始まりましたが、今年は気持ちが晴れません。コロナの影響があるのだと思います。都市部では緊急事態宣言が出されていますが、現状は一向に改善せず、毎日今までに最高の感染者という報道が続いています。

有効な手立ての無いまま、毎日が過ぎてゆきます。コロナ感染予防のための文書がメールによって届いていますが、保育園内での感染予防は万全を尽くしていますが、感染者は増える一方です。保育園は毎日の感染予防対策の実施により、その他の感染症が非常に少なくなっています。今の時期は体調を崩す子が多くなるのですが、ほとんどみんな元気に登園しています。

新しい年度になりますが、はたしてどのようになるのか心配です。卒園式や入園式は来賓を呼ばず、参加者も縮小して行いましたが同じように対応することになると思います。もし感染がさらに拡大し、施設内で感染者が出た場合は、ほとんどの集団で行う行事は出来なくなると思います。

本来あるべき保育活動は出来なくなるかもしれません。子どもたちの健康を守ることで精一杯になるかもしれません。保育園は閉ざされた空間になってしまうのでしょうか。社会的な体験ができず現実にある実態に触れる、味わう、聞くことが出来なくなるかもしれません。また地域社会の人たちとの交わりや会話などの体験も出来なくなってしまうかもしれません。コロナは経済活動を停滞させるだけではなく、子どもたちの教育活動においても大きな打撃を与えているのです。

私たちはできるだけ続けられてきた、保育活動を継続し行きたいと考えています。そのために様々な工夫をしてきましたが、今後も安全を確保しつつ従来通りの保育の継続に努力したいと思います。

2020年12月2日

2020年12月になりました。今年はコロナウィルスに始まり、コロナで終わりを迎えるという年になりそうです。この感染は社会的な生活をしている人間の弱点につけこんで拡大しているウィルスです。他者との交わりを楽しむことができない、孤立した生活をしなければならない病気です。

そのためにオリンピックは延期になりました。旅行やレストランなどで食事を楽しむことができなくなっています。人間を一つのところに留めて孤独な生活を強いています。保育も集団で楽しむ活動は感染のリスクを伴うため、中止か縮小しなければなりませんでした。

相談や会議、研修はオンライン会議が当たり前になりました。人々はマスクをし表情を想像することができない会話になっています。大きな声を出さないこと、食事はできるだけ一人でする、遠くに出かけることは控え、知らない人とは交流をしない等、そんな状態が続いています。いつまでこの状態が続くのか誰も予測できません。

体の健康維持のため、精神的な健康を犠牲にしなければならないようです。行動の自由や交流の自由は制限されています。飲食の環境が制限されています。移動ができないことや食や飲食のサービスが制限されることによってこれほどの経済的なダメージがあるということは想像できませんでした。

保育園では親子遠足は中止でした。夏祭りは施設以外の方々との交流の無い行事になりました。運動会は縮小し、文化祭や保育参観は中止しました。大きな行事は不特定多数の参加者がいるためにこのような形になってしまいました。日常保育では手指消毒や施設内の消毒業務が新たに加えられました。その為なのか、病気で休む子が例年より減少しているのです。

このような状態ですが保育園は発表会を行います。できるだけお互いの距離を保つために2部制にし、時間を短縮するためクラスの出し物を減らし、保護者の方々の入場も同居家族2名としました。子どもたちはいつもの通り担任の話しを聴き一生懸命に発表の為の練習をしています。

世界では毎日感染者が急激に増えています。重症になっている方たちも増え医療崩壊になってしまう国もあります。日本ではこのような事態にならないように各方面で懸命に対策が練られています。私たちは予防のためにできることをして、忍耐するしかありません。そして、子どもたちに感染が広がらないようにできることを続けなければなりません。

2020年10月20日

夏の酷暑が嘘のように朝夕の気温が低くなってきました。水田はほとんど稲刈りが終わっています。保育園は何事も無いように子どもたちの声に包まれ、元気に走り回る子どもたちによって励まされる毎日が続いています。

春の遠足は中止になり、夏祭りや運動会は規模を縮小したり、参加者を制限して行いました。それでも子どもたちはいつも以上に喜び、楽しんでいました。秋の遠足は歩いて行ってもよいくらい近い場所ですが、大型バスをチャーターし出かけてきました。

それぞれ子どもたちは逞しく成長しています。コロナウィルスのため地域の人たちとの交流はできないのですが、この子たちの姿を多くの人たちに見ていただけないのは非常に残念です。

12月には私たちにとって大切なクリスマスの季節になります。発表を毎年続けてきましたが、今年度も同じように開催することは難しいようです。しかし、なんとか発表会を行いたいと思います。

クリスマス・ページェントの準備をしなければならない時期になりました。神様のお支えによって、お守りによってクリスマス発表会ができますようにお祈りしています。


2020年9月3日

今は運動会の準備で先生たちは大忙しです。コロナウィルスの影響によってどの施設でも大きな行事をどのように行うのか苦慮していると思います。私たちもどうすればよいのか迷いましたが、規模や時間を縮小し行うことにしました。

昨日、毎年お借りしている江刺の中央体育館での総練習を行いましたが、子どもたちは全く関係なく、一生懸命の競技を楽しんでいるのを見ると、やはり縮小はしても運動会ができることがとてもうれしく思うのです。

奥州市、県の指導監査が終わました。県の監査では指摘はありませんでしたが、市の指導監査では法人運営において基本的な部分に誤りとか定款の解釈に思い込みがあり是正が求められました。

何をしているのか施設長として自己嫌悪の状態になっています。理事会が8日に行われますが、協議し誤りを是正したいと思います。指導監査の大切さを改めて知ることができました。

1月に隠退された邑原先生の奥様が8月に逝去されたことは江刺教会員にとってとても辛い出来事でした。気持ちが大きく落ち込みました。やっと冷静に考えることができるようになったような気がします。私たちにできることは祈ることです。

路得子姉がいつも楽しみにしているクリスマス・ページェントは絶対に行いたいと思います。


2020年8月17日

8月になり急に熱くなりました。気温が35℃くらいの日が続いています。夜も熱帯夜となり眠れない日が続いています。今日でお盆は終わりになります。子どもたちはみんな元気に登園してきました。

しかし、コロナの感染が急速に拡大し岩手県でも9名の感染者が報告されています。保育園では感染を防ぐために様々な努力をしています。様々な行事を縮小したり、中止して対応してきました。これから9月になり運動会の季節になるのですが、どのように開催すればよいのか、開催することができるのか、各施設で苦慮しています。

私たちも保護者会や職員会議で検討していますが、今の時点では縮小した形での開催を考えています。子どもたち以外の入場者を制限し、種目も大幅に減らし、3歳以上児だけの運動会を考えています。

文化祭は今年度は中止とし、園児が制作した絵画や作品を送迎時に見ることができうるような工夫をすることにしています。12月にクリスマスぺージェント等発表会を毎年行ってきましたが、今年度はどうしたら良いのか未だ決まっていません。

寒くなると様々な感染症が流行し、心配事が増えますがみんな元気で健康であるように支えてゆきたいと思います。

子どもたちの健康について、より良き成長について祈りの毎日が続いています。


2020年7月11日 大切な人が天に召されました

8日の早朝、酒勾節雄監事よりその奥様である日治子さんが7日午後8時50分ごろ逝去されたという連絡をいただきました。リハビリのため通っている施設で体調を崩し、救急車で運ばれ病院で検査したら脳内出血を発症していたそうです。しかし、苦しむことなく安らかに天に召されたことを節雄兄は報告してくださいました。

「人の一生は空である」というコヘレトの言葉が脳裏をかすめました。私たちはその時を受け入れるしかありません。9日午後6時から前夜式、10日10時30分より葬儀が北上教会において行われました。江刺教会から牧師、滝沢徳雄先生ご夫妻、千葉洋子役員、が参加しました。

日治子さんが中学校を卒業し、私が小学2年生くらいの時、私の家で泊まり込みで働くようになりました。そして節雄兄と結婚するまでの9年間、日治子さんは私にとっては姉のような存在で、大切な家族でした。ですから、自分の思いを裏表なくぶつけることができる大切な人でした。私たちは一緒に喜び、悲しみ、楽しみ心を一つにして毎日を過ごしていました。

日治子さんがとくに信仰を持った頃、私は日治子さんに信仰を持つことは何の意味もなく、無駄なことであり、聖書の言葉は全てフィクションに過ぎないということを何度も、強く語ったことを思い出します。それに対して日治子さんは忍耐強く私を諭してくれたことも思い出します。

私が小学校4年生か5年生くらいだったでしょうか、毎日のように教会について非難していた私を日治子さんは江刺教会の教会学校の礼拝に誘ったのです。そして私は何も言わず出席したのを昨日のように思い出します。非常に反発していたのですがどうしてその誘いの乗ったのか分かりません。しかし、何の違和感もなく一緒に礼拝を守ったのが私の初めての教会体験でした。

故佐藤俊一郎牧先生の奥様鈴子さんが説教してくださったのです。司会は節雄兄でした。それから私は20歳で洗礼を受けました。その後、4歳下の妹も受洗しました。日治子さんが教会に誘ってくれなければ私たちは信仰を持つことができなかったと思います。

人生は空であるというのは一瞬で過ぎ去るということであり、だからその一瞬を大切にその時を楽しみ、喜んで、生きることを神様は私たちに教えてくださいました。この風のような一瞬の人生の中で、日治子さんとの出会いは私たちにとって非常に大切な出来事なのです。


日治子さんのこの世の時間は終わってしまいました。彼女の命は再び天において神様に委ねられました。私は日治子さんと共に生きることができた時間を心から大切にしています。この共に過ごした時を与えてくださった神様に心から感謝しています。

そして、この世で生活されている日治子さんの大切なご家族の悲しみが癒され、よき思い出になりますように心からお祈りいたします。
神様の豊かな祝福が悲しみの中にある酒勾節雄さんご家族にありますように、主の聖名によってお祈りいたします。


2020年6月26日 スマホを購入しました。

 20年以上、ガラケーの携帯電話を使っていましたが、家内から許しを得てスマホを購入することを決めました。20日に予約していたドコモショップに行きました。

事前にどのくらいお金が係るのか様々な人たちから事前情報を得ましたが、少なくとも機種を購入するなら7~8万円くらいは必要だと思いいつもは3万円以上入っていない財布に10万円を入れて、また、どんな機種を選んだらよいのか分からないので娘に付き添ってもらいお店に行きました。

若い女性の店員さんが応対してくださり、予算は8万円くらいで、お年寄り用ではなく普通のスマホを購入したい旨お話ししました。紹介されたのはアンドロイドという機種で値段はおおよそ45,000円くらいのものでした。娘に聞くとそれでよいということでお願いしました。

少しお待ちくださいということで2,3分後明細書をもって店員さんが来て、「お客様の場合、機種の値段は1円です。」というのです。8万円くらいかかると思っていたので、それが1円なので言葉が出ないほど驚きでした。ガラケーから初めてスマホに機種を交換する利用者はそのようなサービスになっているのだそうです。

娘も驚いていました。様々な手続きと必要なアプリをインストールして頂き、はれてスマホを手にすることができました。ラインをインストールすると20人以上の名前が表示されました。早速コメントを書いて下さる方がたくさん居るのに驚きました。購入のために係った金額は充電器やケースを入れて約4,500円でした。

帰宅し家内に「お母さんも1円だからスマホにしたら。」と話すと使い方がわからないのでこのままでいいと言っていました。音声入力もできるのですが、携帯に語り掛けるのは何か気恥ずかしさを感じます。

文字入力は太い指なので何回も訂正しやり直しながらラインで娘とコメントを交換しています。孫の写真や動画が送られてくるのを楽しみにしているのですが、こんなことが楽しみになるのはやはり老人になった証拠なのかもしれません。

着信音が聞こえるとスマホを見たいと思うのはスマホ中毒の予備軍になっているのかもしれません。でも目が疲れますので極力見ないようにまたスマホの作業はしないようにしています。

使い方はとくに苦にならないのはITの世の中に同期しているからなのでしょう。私はアナログ人間でありたいと思っていましたが、結局この世の流行に乗ってしまったデジタル人間になっているのだと思います。


2020年6月2日 「コヘレトの言葉」について


 近所のスーパーの中にある書店にNHKEテレのテキストがまとめられているコーナーがあり、「こころの時代」という番組で使用される旧約聖書の「コヘレトの言葉」がテーマになっているテキストがありました。この書は聖書の中で特に独特の文章が綴られています。私にとって信仰を持った学生の時から異彩を放っていました。

この書は「伝道の書」という表題でしたが、共同訳聖書になってから「コヘレトの言葉」という表題に替えられていました。はじめに仏教の経典のような文書があり、非常に興味をそそられていました。人間の行い、その人生はすべて空しいということから始まるのです。

生きることに何の意味もなく全ては風のように空しく過ぎ去っていくのが人間の人生であるというのです、これをそのまま解釈すれば生きる時間は何の意味もなく、何をしてもすべては無駄なことだという内容になるのです。しかし、全てが空しいといいながら、全てに時があること、飲み食いし、妻と共に人生を楽しめとか、汝の若いときに汝の作り主を覚えよ、という記述があることが、何とも不思議なのです。

この書は私たちに何を語っているのか、神様は我々に何を求めているのか分からないまま読んでいたことを思い出しました。


この「こころの時代」の講師として小友聡先生の名前が記載してありました。今回の新共同訳聖書の翻訳者の一人でもあり、奥羽教区の新共同訳聖書の研修会に講師として来てくださった先生でもあるのです。迷わずこのテキストを購入したのです。とても興味深く読ませていただきました。

その中で私は「空」という言葉を空しいという意味だと解釈していました。共同訳聖書も「空しい」と記述されているのです。しかし、新共同訳聖書は「空しい」ではなく「空」という表現になっています。どうしてその表現になったのか先生の解説では「空」とは「束の間」「一瞬」という意味であるということでした。

このように解釈すると、人生は一瞬であるから、その時間を思う存分に楽しみなさいというふうに理解することができると書かれているのです。人間一人の人生は束の間であり、風のように空しくではなく、一瞬のうちに過ぎ去ってしまうのだということだったのです。

そのように解釈するとこの書のすべての矛盾が、矛盾ではなく神様の励ましとして捉えることができるのです。短い人生であるからこそ時間を大切にし、神様の恵みとして愛する人と共に楽しむのが人間としての生き方であるということが明確に心に入ってくるのです。

人生は空しく暗闇の中を生きるのではなく、束の間の人生を大切に、楽しんで生きなさいと神様が言っているのです。旧約聖書のなかで貫かれている厳格な神様の姿が、優しくおおらかな神様の姿で想像されるのです。改めてこの人生を生きてみようという思いが湧いてくるのです。私は多くの恵みを頂いてきました。神様はこのような罪深い土の器であっても支え続けていて下さることを確信することができるのがこの「コヘレトの言葉」です。

2020年5月29日 コロナウィルスの中で

コロナウィルスの緊急事態宣言が解除されましたが、危険な状態が過ぎ去ったというのではなく、人の移動が少なくなり感染する人が少なくなったということだけで、感染のリスクは依然と続いているということです。

このウィルスは人間の生き方自体に大きな変革を強いているように感じます。人間は集団で協力しながらその文化を発達させてきました。しかし、今はその集団での活動を抑制し孤立した生き方をしなければ感染の危険性から逃れることができない状況になっています。

私たちは子どもたちにお互いに支え、力を合わせて生きることを保育の中で伝えてきました。そのことが正しくないと言われる社会になってしまうような気持ちになります。本来あるべき人間の行動する力や人を思いやる能力が自分の命を危険に貶める能力だと思われてしまうことに大きな違和感を感じてしまいます。そしたら人間はどのように生きれば良いのでしょうか。

私たちのキリスト教の礼拝も感染の危険があるので集会を持つことをしないと決めたところが多くあります。私たち信者にとって最も大切な時間は礼拝を守るときであるのですが、自分の命を最優先に考え、神との時を排除してしまうのは仕方のないことのように思うのは私たち中には真の信仰が失われているのではと考えてしまいます。

礼拝を守れない心の痛みを癒すのはやはり礼拝を行うことです。日曜日に行うだけではなく、また夜間に少人数で守ることもできると思います。

私たちは命を守り、本来の人間の生き方を見失わないためには、神との対話の継続とその中で真理を見失わない心の強さが求められています。神様はこの地上で生きるために、全ての命との共存が必要であることを私たちに語り掛けています。自分の命だけが生きるのではなく、それぞれがお互いに生き続け、バランスとそれぞれの領域を保って生活することの大切さを人間に求めているのだと思います。

その為には有効なワクチンの製造が必要です。それは人間が神様に祈り、神様の御心に触れたときに与えられる恵みなのかもしれません。その恵みが果たして人間に与えられるのかどうか、祈りたいと思います。


2020年5月7日

連休が終わり今日から保育が始まりました。子どもたち、職員共に元気です。休みの間何もすることなく過ごしていましたが、毎日コロナウィルスについての注意喚起がなされています。当分この状態が続くのだと思います。

私たちのような保育関係者や公務員は決まった給与が出ていま
すが、自営業や飲食業の方たちは気の毒です。その働きが制約され収入が得られず、通常の生活することが難しくなっています。いつまで続くのか不安な状態で毎日を過ごしている方たちがたくさんいます。感染してしまった方たちも社会から隔離され、感染したことが悪いことをしてしまったかのように思われ、やりきれない思いになっている人がたくさんいるのだと思います。

この病気は病気以外の様々な問題を私たちに突きつけてきます。人間の精神と社会システムが試されているような時代になっています。こんな中で命を守るために一生懸命に働いている医療関係の皆様には頭が下がります。私たちも努力したいと思います。


2020年4月の状況について


入園式が終わり2週間が過ぎました。毎日のようにコロナウィルス関連のメールが届いています。しかも1日に3~5回は来ています。このコロナウィルスの感染拡大によってすべてのことが大きく変わってしまいました。教会でも感染防止のため礼拝や聖餐式を行わない教会が岩手県内でも多くなっているようです。特に4月は教会総会の時期で2020年の活動方針や予算の承認などを決定しなければならないのですが、集会を行わないで文書決議する教会が多くなっています。

奥羽教区総会も文書決議によって行うことが決まっています。私たちの江刺教会は4月から新しい牧師を迎えていますが、准允がどのようになるのか注目しています。この状況が続くのであれば就任式はできるだけ簡素に短時間で行うことにならざるを得ないでしょう。非常に残念です。

新しい掛江隆史牧師を招聘できたことを教会全員が感謝し、喜んでいます。江刺教会のとって神様からの大きな恵みと祝福を頂いたことを確信できる招聘であったと思います。また、邑原先生が江刺教会のために祈り働いて下さったからこのような恵みが与えられたことも心から感謝しています。私たちは新しい江刺教会教師の就任式に多くの教会から人々が来てくださり掛江隆史牧師のこれからの働きを祈ってくださることを希望しているのです。そのようになりますように祈っています。

保育園も始まっています。入園当初、特に乳児のなき声が保育園中に響き渡っていましたが4月半ばを過ぎ子どもたちは落ち着いてきました。これから子どもたちが期待している親子遠足が行われる予定でしたが、コロナウィルス感染予防のため中止となりました。保育参観や夏祭り、運動会もどうなるのか心配です。

幸いに、子どもたちはみんな元気です。さくらの季節で少し遠くにお花見で出かけていましたが、今年は保育園周辺を散歩しています。今週で桜の花は散ってしまうでしょう。東日本大震災の年に園庭に植えた桜の木は大きくなりたくさんの花が咲きました。一日も早くコロナウィルスの感染拡大が終息し、有効なワクチンができますようにお祈りします。

 
イースター礼拝の説教をしている掛江隆史牧師  江刺保育園の桜