2023.3.9 年度末の慌ただしさ
あっという間に卒園の時期になってしまいました。3月になると様々な報告や会議が毎日のようにありどうにも身動きが出来なくなってしまう日が多くなってしまいました。
保育園私の施設だけでなく、役員としている2か所の施設で監査や理事会、教会では年度末の決算や予算案、活動報告の提出、農協関係も会議が予定されています。年老いているのに肉体労働ではありませんが、時間のやり取りが難しくなっています。
保育園の中でも卒園や進級の準備、新しいクラス担任の決定、新年度事業計画、予算案の策定、新入園児の受入準備、等、保育園全体が忙しい毎日なっています。
2023年度は入園児童がかなり少なくなっていることが大きな課題になっています。保育園の経営は入園児童の数によって大きく影響されますので、少ない状態が続いた場合、経営が出来なくなってしまいます。
少子化の問題が解消されない限り、子どもの少ない地方にある施設は不安な状態が続きます。はたしてどのようになるのか正直、見通しが付きません。
嬉しい出来事として、4月から副園長になる江刺教会の掛江隆史牧師は3月1日に入籍されました。結婚式が江刺教会礼拝堂に於いて3月27日(月)に行われます。司式は盛岡の下ノ橋教会松浦裕介牧師です。午後1時からの会式となります。約80名の方が参加されます。とても嬉しい出来事です。
2023.1.27 コロナに感染しました。
12月18日コロナに感染しました。18日の夜、38℃の熱が出て19日毎週2回行っている定期の抗原検査をすると検査キットに2本のラインがはっきりと出ていました。コロナ感染陽性の印です。発症日が18日で25日までの自宅待機となりました。
その後3日間熱は39℃近くまで上がりました。喉の痛みもありますが、それよりも体のだるさが半端でなく全く気力がなくほぼ1週間無気力な日々を過ごしました。24日には陰性となったのですが、体の不調はなかなか戻ってきませんでした。1月半ば過ぎにようやく体調が戻ったように感じました。
保育業務、教団、教区、教会関係の業務、地域の農家組合や農業共済の業務等、処理しなければならない業務が山のようにあるのですが全く手に付かないのです。
焦らず全てを忘れるように努力しましたが、何もしていないことに焦りと不安が出るのです。しかし気力がまったく湧いてこないので割り切るしかありません。多くの人にご迷惑を掛けてしまいました。
25日に計画していた保育園子どもたちの江刺教会でのページェントは出演する子どもたちに感染者があり中止としました。私もクリスマス礼拝に参加することができませんでした。妻は濃厚接触者でしたが陰性なので参加できました。私には残念なクリスマスになってしまいました。
保育園ではお正月休み過ぎから感染者の報告が相次ぎました。9月から本日までで80%の子どもたちが感染していました。職員も半数近く感染していました。幸い重傷者はありませんが、陽性になった場合1週間は自宅待機になります。家族は濃厚接触者となります。子どもが感染すると家族全員が感染してしまうケースが多くあります。
今日は1月27日ですが今週は新たな感染者の報告はなく、ようやく通常の状態に戻ることが出来そうです。こんな状態で政府は5月よりコロナを第5類とするとが決めたようですが、ほんとうに大丈夫なのか安心はできません。
2022.12.10 子どもの声は騒音なのか
子どもの声がうるさいという訴えにより公園を閉鎖する事について市議会で審議しているという報道がありました。こんな世の中になってしまったことについて嘆かわしい限りです。
子どもたちの遊んでいる声や喜んでいる声、時々泣く声などを騒音として捉えてしまう人が多くいるのです。少子化になるのは当然の結果だと思います。
子どもたちの声や活動する姿はよく養老先生が自然の姿であると言っていました。川のせせらぎや風の音、小鳥の鳴き声と同じ音なのです。それをやかましいと感じるのは、そう感じてしまう人の心が病んでいるからなのだと思うのです。
そのように子どもたちの姿と捉えてしまうのは、そのような人たちは余計なお世話かもしれませんが、とても寂しい孤独な人生を送ることになるのだと思います。
喜んでいる声を一緒に楽しむことが出来ないくらいに、現代人の心は何かを失ってしまっているのかもしれません。
優しさとか、思いやり等、考えられない人が多くなっているのかもしれません。
このような私自身も精神を病んでいるのかもしれません。
子どもたちの中で一緒に喜び、悲しみ、喜怒哀楽を共有しながら生きることが自然で心地よい事なのだと訴えたとしても、全く理解できない人たちが多くなっているこの社会はどこか異常な特殊な世界のような感じがします。
12月になりクリスマスの季節になりました。5歳の子どもたちは毎日クリスマス・ページェントの練習を行っています。はじめは蚊の泣くような声でセリフを語っていましたが、今は堂々と自信をもってイエス様の誕生の様子を語ることができるようになりました。
この子供たちの姿を毎日目にすることができることを心から感謝し、共に喜ぶことができることがとても幸せに思うのです。実際に、子どもたちが私たちを支え、励ましていてくれることを、多くの人たちにありったけの声をあげて、伝えたいのです。
子どもたちは、どんなことがあっても私たちが喜んで生きて欲しいといつも願っているのです。
2022.11.1 新たな時代の為に
奥羽教区三役、常置委員の選挙がようやく終了し役員が決定し教区活動がようやく始まりました。私は常置委員信徒議員として選出され、再び財務部委員として働くことになりました。
前鈴木務財務部長が退きましたので、財務部長として働くことになります。出来れば辞退したいというのが本音ですが、仕方ありません。健康が支えられるように、神様が祝福し、支えて下さるように祈るしかありません。
保育園も2023年度からは新施設長を選んでいただき、私は退く事を希望していました。理事長の承諾を得て新たな施設長として掛江隆史牧師にお願いし、快く承諾して頂きました。
しかし、掛江隆史先生は施設長としての資格を取得する必要があり、何より2年間の実務経験が求められるため、2年間は私が施設長を継続することにしました。その間掛江隆史先生は副園長として経験を積むということで理事会に提案させていただきました。
但し、私の待遇は時給にして頂き就業時間も短い時間にする事をお願いしました。
他に現高橋樸理事長より理事長職は今期限りという希望があり、新しい理事長として施設長兼任で私が立候補することになりました。以上の件を10月20日の理事会で審議し、施設長は提案通り掛江隆史先生を副園長とし、遠藤清賢園長は2年間は施設長とすることが承認されました。
理事長に関しては、提案を受け容れることを確認しています。但し現在の理事、監事の任期は今年度で満了となるため令和5年度の定時評議員会で承認された理事会において正式に理事長を選出し、決定することを確認しています。
保育事業は大きな転換期を迎えようとしています。少子化が益々進み、保育事業の経営、運営は益々難しくなってきました。しかし、掛江隆史先生が保育施設を運営して頂けることは非常に心強く、安心感があります。この保育園の働きを通して社会の様々な課題に触れて頂き、さらに大きく豊かな教会牧師となって下さるように祈ります。様々な困難が待ち受けているかもしれませんが、それ以上に幼い子どもたちの成長を支える喜びが如何に尊く、喜びに満ちあふれる働きであることを神様の恵みとして受け取って頂きたいと思います。新たな時代の為に神様のお支えとお守りがありますように祈ります。
2022.9.14 母が逝去しました。
9月5日(月)の朝8時、母遠藤千代は97歳でこの世の人生を終えました。母の死を悼み、祈り、私たちの為に祈り、支えて下さった皆様に感謝申し上げます。
私たち家族は父と同じように母もこの家で看守ることを決断し、ケアマネージャーと相談し、訪問看護と訪問医療をお願いしていました。父が2月6日に亡くなった後、母も心身ともに衰えが目立って来ていました。しかし、7月、8月と元気になり介護ヘルぺーさんと一緒に買い物が出来るようになったのですが、買い物に行った日の次の夜、転倒し動けなくなりました。
おそらく大体部か骨盤のどこか骨折していたと思いますが、体を動かさない限り痛みを訴えることはありませんでした。いつも自分は95歳を過ぎているので、このようになるのは当たり前のことだと言っていました。自分の死を達観しているのです。私たちは入院しないで自宅療養することを決めました。それから3日後くらいだったと思いますが血中酸素濃度が80代に低下していていつ急変しもおかしくない状態にあることを医師が説明して下さいました。埼玉にいる妹に連絡し、9月3日(土)に来てくれました。
9月5日の朝、妹と一緒に母の朝の支度を整え、家内と妹そして私と3人で朝食を摂りながら、母との昔話に花を咲かせ時に大声で笑っていました。食事を終え母を見ると息が絶えていました。私たちはどういう訳か笑ってしまいました。
母の死はとても自然で苦しみや辛さを訴えることなく、静かにその時を迎えたのです。生きること死ぬことが自然の営みであること、何かしら清々しさを感じさせられる出来事でした。神様が支えて下さったこと、母を通して大きな恵みを頂いたことを私たちは心から感謝しました。
私たちが笑ったのは「良かったね。」「よくここまで生きてきたね。」そんな思いなのです。良く生きてきたことへの賞賛と喜びなのだったのでしょうか。不謹慎であると言われても仕方ありませんが、母は分かってくれると思います。
2022.8.25 フェルナンド・ソルについて
ギターの作曲家の中で絶対に外せないのが、スペインのフェルナンド・ソル(1778~1839)です。ギターのベートーベンとも呼ばれています。ギターをクラシック音楽の演奏楽器として高めた功績と作曲された作品は音楽の世界では非常に重要な存在となっています。ギターがピアノ、ヴァイオリンと同じようにコンサートにおけるソロ演奏楽器として認められるようになったのは彼の存在があったからこそです。
彼は優れた作曲家でもあり演奏家でもありました。その中の代表的な曲は「モーツワルトの主題による変奏曲」「グランソロ」の二曲が掲げられると思います。この2曲とも演奏者の高度な技術と共に音楽的理解、表現力が求められる名曲なのです。
一定した時の流れの中に上品な表現力が求められます。人間的な感情表現に頼るのではなくそれらを包括した究極的な音楽表現が出来なければこれらの曲をコンサートのプログラムに組み込むことは出来ないのです。
私も演奏はするのですが、技術的に演奏ができたとしてもその曲のもっている魅力の20%位しか表現できないのです。80%は演奏する者の音楽的な素養がその表現の重要な要素になっていると思います。その奥深さがこのソルの音楽の魅力なのです。
その魅力に取りつかれたように練習に励むのですが、私の場合は70歳を過ぎましたので到達することは出来ないと思います。しかし、ソルは多くの練習曲、ソナタ、メヌエット、変奏曲を作曲しています。それらを辛抱強く練習し弾き続ける事によってソルの作曲した優れた曲に到達することが出来るのです。ギターを弾かれる方たちは努力して欲しいと思います。
多くの優れた演奏家が録音しています。是非、ご興味のある方は聞いて下さい。私の聞いた中で推薦するのはバルエコ、ジョン・ウィイアルズ、セゴビアです。
2022.8.3 佐藤弘和さんの作品について
7月30日で71歳になりました。いままでよく生きてこれたと思います。家内とお互いに年寄りになったことを嘆くというのではなく、喜ぶということでもなく。今の状態を何とか受け入れようと話しをしています。一緒に生活している97歳の母のことを考えると年を取り生きることはそれなりに大変なことのように思います。母の今の状態はマラソンでいえばゴール直前の呼吸が苦しく前に進むために遠のく気力を何とかふり絞る毎日なのかもしれません。私たちはその母を見守ることしか出来ません。
暑い毎日が続いています。今日は雨がすこし強く降っています。私が大好きで尊敬するギターの作曲家について記述しようと思います。私は佐藤弘和さんという作曲家の作品をよく弾かせていただきます。彼は1966年1月24日青森県弘前市で生まれました。弘前大学教育学部音楽課を卒業していると記憶しています。
彼の作品はとても弾きやすいのです。しかもとても心に響き共感できるのです。難しい調性や難解な解釈など必要なく、自然にその音楽を親しみ、楽しみ、表現することができるのです。本人もギターを弾きますので楽器の特徴を熟知し、技術的に無理なく演奏できるように作曲されているのです。著名な演奏家から高い評価を得ている作曲家でした。しかし、2016年12月22日50歳の若さでこの世を去ってしまったことはとても残念なのです。
私が彼を知ったには今から30年くらい前だと思いますが、最初の作品は「素朴な歌」という曲です。短い曲ですが心に余裕があるときふと口遊むようなメロディーがこの曲のテーマになっているようです。はじめはなんということもなく弾きやすいので演奏するのですが、演奏すればするほど心に残る曲なのです。世界的なギタリストである福田進一先生が演奏しています。
もう一つ「9月の雨」物悲しい雨の降る日に自分も何か悲しい気持ちを雨が降るように地面に流してしまいたいというような曲です。ギターの響きが静かに共鳴し、音がグラディエンションしているように心に迫ってくる作品です。
「クリスマスの歌」という曲があります。彼はクリスチャンなのかどうかは分かりません。弘前は教会の多い街です。クリスマスの季節には町の賑わいというより、クリスマスを迎える人々の喜びとか、祈りを表現しているように私は感じています。編曲者としても優れていて村治佳織さんのCDに彼の曲が取りあげられています。
食道がんであったと聞いています。病気が発見され3年後に逝去されていますが、闘病中に作曲された「音楽のエッセイ」という曲集があります。その中の曲で「ある日の悲しみ」という曲を弾いていると涙がこみ上げて来るのです。この他にも照会しきれない素晴らしい曲が沢山あります。
ギターをお弾きになられるなら是非この佐藤弘和さんの作品を弾いて下さい。ギターを弾く喜びが広がり、音楽がより身近になり、豊かな時を与えてくれると思います。
2022.7.26
暑い日が毎日続いています。暑さの為か熟睡できずなんとなく疲れを感じる毎日です。子どもたちはこんな天候など何するものぞと毎日元気に過ごしています。
ただ、コロナ感染が爆発的に増えています。私たちの保育園では濃厚接触者があり自宅待機しなければならない方もいます。職員が2名家族の感染の為に休んでいます。今までと同じような予防対策ですが、子どもたちのマスクの装着は求めていません。2歳以下の子どもたちはマスクをしていません。3歳以上児も装着を求めていません。施設内での感染者は出ていません。
私はどうにか「暑い暑い」と言いながら過ごしています。自宅に帰り食事や母の世話が終わればギターを弾くのですが、暑さのためにギターを中々手に取ることができない状態です。私は指頭弾きなので夏は思うような音が出せないのです。今毎日弾いているのはバッハのイ短調フーガです。20代のころから練習しているのですが、この曲は思うように演奏出来ていません。難しいのです。しかし、最近ようやく曲として聞けるようになって来たように思うのですが、自己満足に過ぎません。
ギターではイ短調または二短調で弾かれています。原曲は無伴奏ヴァイオリンソナタNo1です。このフーガは一つのテーマが繰り返し繰り返し演奏されるのですがその繰り返しの中に様々な心象風景が時間を超越して表現され壮大な物語を作り出し最後に輝かしい音がひかりとなって拡散されるような曲なのです。
セゴビヤ、ジュリアン・ブリームの演奏が有名です。私は山下和仁の演奏が最上であると信じています。是非お聞きください。
もう一つ私の愛奏曲なのですがタレガ作曲の「マリーヤ」という曲です。タレガは有名な「アルハンブラ宮殿の思い出」を作った方でギターではロマン派に分類されます。この曲は女の子の名前が曲の名前になっています。タレガは「マリエッタ」「アデリータ」「ペピータ」等子どもの名前を題にした曲を作っています。子どもたちの姿を見て作曲されたのだと思います。作曲者の子どもに対する愛情が形となってこれらの曲になっています。このマリーヤはガボットのリズムになっていて軽快な出だしです。活発でお話しの好きなかわいらしい女の子が想像されます。曲の終わりに叱られたのでしょうか、すこし沈みがちな曲調になりますが直ぐに元気を取り戻し走り去って行く4,5歳の女の子をイメージして演奏しています。私の孫が幼かったころを思い出しながら心を込めて演奏しています。
ギター音楽の解説になってしまいました。また時折私の好きな曲をご紹介出来ればと思います。
2022.6.22
20日より暑さを感じる季節になってきました。保育園ではプール開きが行われ、今はプールに入っている子どもたちの歓声と注意を促す先生達の声が響き渡っています。今は比較的穏やかな毎日を過ごしています。
17日に水沢保育園の職員研修の講師を努めさせていただきました。約1時間半お話をさせていただき、皆さん真剣に聞いて頂き感謝でした。私の話しより毎日保育をされているベテランの先生達の方がずっと良いお話しが出来るのです。しばらく講演の機会から遠ざかっていましたので今回改めて準備をさせていただき、私自身よい学びをさせていただきました。
改めて保育の働きの大切さを確認することができました。保育が私たちの社会にとって掛け替えの無い働きであることを確認したのです。しかし、私たちが生きるために掛け替えのない水や空気、自然の環境が失われているように、保育の働きも徐々に失われているこの社会のあり方に大きな誤りがあることに不安を感じます。
子どもが少なく多くの保育施設が閉園しています。経営が成り立たないということですが、それで本当に良いのでしょうか。資本主義経済の仕組みだけで取り扱う課題ではないことは皆さんよく分かっているのです。この経済の仕組みは多くの歪をもたらしています。格差を助長し続けています。
ある一部の人間が富を享受している社会が続いています。労働の内容によって利益に格差があることに私たちはあまり違和感を感じなくなっています。資本主義経済は労働の違いによる格差を利益の違いによって表現してきました。私たちはそれを当然のことのように受け容れてきたのです。
しかし、その結果、富める者、貧困に喘いでいるもの、栄養過多の者、栄養失調で死を待つもの、武器を持つ者、何も持たないものという格差を広げています。
日本の保育はこの格差をなくすための働きも担ってきました。何よりも子どもたちの成長を支え、未来を託すための命を育んでいるのです。子どもの保育を社会経済と単純に繋げその動向によって増減を繰り返すようなものであってはいないと思うのです。確かに経済との密接な繋がりがあり、その関係は重要だと思いますが、保育はもっと盤石なものでなければならないのです。
しかし、国境を力で広げようとする者、強引に自分の考えや思想を力で押し付け、支配する者が今になって再び世界を席巻しようとしています。それによって私たちの国も軍事を拡大しなければならないという議論が沸き起こっています。
命ある者がお互いを信頼し、支え合う世の中は当分の間出来そうにありません。一日も早く世界が平和になるように、また子どもたちが真理と理想を見つけ正しい道を歩むことができるように祈ります。
2022.6.8
2022年度ようやく決算が終了し監査、理事会、評議員会が終了し6月6日に2021年度決算資産変更登記を行うことができました。WAM届出も完了し一息付くことができました。
実は親子遠足の帰りにバスから降りて自転車に行く途中歩道のブロックが壊れたところがあり少し低くなっていたところに足を踏み入れた時バランスを崩し、3日前に腰を痛めていましたがさらにまた痛めてしまいました。
何とか自転車にまたがって漕ぐことができるのですが、降りることが出来ず、そのまま早退させていただきました。一週間過ぎて痛みは和らいでいますが、未だ少し痛みがあります。痛み止めを飲みながら過ごしています。
6月17日(金)水沢保育園の職員研修の講師を依頼されています。保護者支援についてお話しして欲しいとのことで、研修の資料作りを始めています。その中で東京大学の遠藤利彦先生が非認知能力についての新しい論文を読みました。
改めて保育園における非認知能力を育む働きについてその重要性を認識することができました。これに関しては後日ホームページ上に掲載したいと思います。